しかしのダメになる北海道講座2

※このページに関してはたくらんけは青字以外の部分には一切の責任を持ちませんm(__)m悪いのはすべてうちの兄貴です。

不味食材  北海道のまずいもん・・・というよりは、たくらんけがうまいと思っているもんは、本当は不味いんだぞっのコーナー(^^;)。ぶわっはっはっはっは。
  紹 介 寸 評
 言わずと知れた、北海道を代表するイカサマ魚。北海道近海でとれる鮭は、シロザケ、サケ、ギンザケの3種であり、そのうちギンザケはほとんど漁獲がなく高級魚となっている。この前小樽で、ひさびさに網にひっかかって新聞に載ったくらいである。シロザケはその成長過程やとれる時期により鮭児とよばれたりメジカとよばれたりし、味がどーたらと言われ別種としてあがめたてまつられているが、単なるシロザケである。通常の成魚は帰巣本能をもって川に近づくにつれ、 背中のほうから黒みかかった魚体に変化し、川にあがると濃緑色のまだらもよう(ブナ)が発生していわゆる「ほちゃれ」となるのであるが、その前に沖合で取れた個体は、鱗もぴかぴかと銀光りし、美しいので「銀毛」とよばれる。これをギンザケと勘違いしているまぬけが多いのも困ったもんである。サケは新巻の高級品としてこれもまた庶民をだます格好の餌であったのだが、近年、ロシア産のサケやカラフトマスの若魚にその場を奪われ ているのも、昔ながらの鮭崇拝者の落胆を見るようで楽しいものである。実際に北海道内で流通している鮭鱒が、どの程度道内産であるのかを考えるのも非常に興味深く、回転鮨やスーパーで売られている魚の中で「サーモン」なる魚や「トラウトサーモン」などという、やけにオレンジ色の魚肉の魚の正体を推定するのも、野次馬根性をわくわくさせるものであろう。北海道に観光旅行に来た人々の中には、鮭こそ北海道の美味いものの代名詞だ、くらいに考えている人もいるようであるが、実は「鮭はヒグマの食い物」である、という事をはっきりとさせておかなければならない。   肉は赤みがかったオレンジ色で独特の臭みを有し、特にその刺身の不味さには定評がある。給料日前のスーパーの特売でやむなく買うか、またはおつかいものでいただいてしまった場合にのみ食卓に出すべきである。なるべく塩をきつめにかけて不味さをごまかしたうえで焼いて食するしか方法が無い。最近「鮭のハラス」などという、ハラスのみの切り身も売られているが、ほかの魚のハラスは脂が乗っていて大変美味である事は明白であっても、このような鮭のハラスに限り、その乗った脂は吐き気と胸焼けの元凶となっている事も覚えていてもらいたい。また料理本などでは、「鮭はどの部分も捨てるところが無い」などと偉そうに記載されているものの、それは鮭を消費しなければ北海道の名物が一つ減ってしまうため、北海道をあげてPRにつとめているいわば方便に過ぎないので、賢明な読者はだまされてはいけない。だいたい、氷頭、頭、目、軟骨、鰭、背骨、メフンなんか、うまいわけねぇーだろーが。であるから「鮭はどの部分も美味いところが無い」というのが正しい評論であろう事は、江戸の時代からの定説となっている。 ちなみに鮭を使用した、「観光客用超極不味料理」としては,「ちゃんちゃん焼き」「三平汁」「石狩鍋」「北海親子丼」「北海三色丼」などがある。
ホタテ  大きな貝殻を、帆のように開いて移動するから、「帆立貝」などという実にくだらない大嘘つきの貝である。そんな事するわけねーだろ。日本の海でとれる食用の貝の中で大きな身の部類に属しているものの、味は下品で歯ごたえもなく、おまけに独特の臭気を持つ。前に貝の直径4cmくらいの稚貝のみそ汁を食してみたが、あの汁はお世辞抜きに美味かった、しかし身はどうしようもなかった。つまり、帆立というのは稚貝のときにダシにして食うしか仕方がないという事の証明であって、成長してから食うもんじゃないという事を再確認し立証しただけであった。ただし、帆立のヒモ(ミミ)と呼ばれている部分については、刺身でよし、干物でよし、釣り餌にしてよし、という事でなかなか重宝である。  刺身、バター焼き、珍味、シチューの具、などにされる。しかし、帆立に関してのみ言えば、どのような調理方法をもってみても不味いものは不味い。煮ても焼いても食えない、というのは帆立貝のためにある格言だという事は、某H大学S学部のY教授の「帆立トホホ論」で学会にも発表された。ホッキのような甘みと歯ごたえが楽しめるわけではなく、カキのように上品な味わいをかもしだしているわけでもない。生臭く、柔らかく、ぶにゃぶにゃしていて、美味くない。それでいてその存在価値を認めろというのは、ずうずうしいにもほどがあるというものである。唯一使えるところとしては、キャンプの時に大きめの帆立の貝殻を拾うと、小ツブを焼いて食う時の鍋代わりになって便利である、という事のみである。
イクラ イクラである。鮭の卵。もはや何も言う事はない。北海道では、川に遡上した鮭を密漁し、イクラのみを取り出して魚を捨てる、というやり方で高級寿司店およびおみやげ店に供給される。そのようにして安く仕入れたイクラを、高級食材として味付けし、観光客の財布の中から福沢諭吉を釣り出す餌としている事はあまりにも有名である。北海道では数少ない渓流釣りが趣味のみなさんは、イワナやヤマベ、ニジマスを釣る時の良質の餌としてイクラを使用するのであるが、北海道の寿司屋及び土産店の皆さんにかかれば、観光客なぞヤマベ以下という事であろうか。また近年、O-157という大腸菌の常駐宿としても、全国的に脚光をあびた事は記憶に新しい。とれたばかりのイクラを薄皮のまま塩漬けにしたものを筋子といい、バラして醤油などで味付けしたものをイクラという。筋子は生臭くかつ塩辛く、にちゃっとしていてとても人間の食うものではない、またイクラは海のルビーなどとおだてられているが、しょせんは作った人の醤油などの付けダレのベースが美味いか不味いかによって味が変わるものにすぎず、イクラ自体は、くそも偉くないという事である。賢明な読者諸君はおわかりになるであろう。 生の筋子をぬるま湯でゆがきながらバラす。あとは家庭の伝統的な味付けにつけこんで寝かすだけである。白いご飯にかけて食う信じられない輩が多い。原則的には24時間以上つけ込むべきであるが、おいらは、つけ込み12時間程度で食してあたり、全身蕁麻疹で苦しみ、産婦人科に一週間入院した経験を持つ。大っ嫌いだっ!イクラなんかっ!

※イクラの名誉のために書いておくと、漬け込みが浅いのを喰ってジンマシンになったということについてはイクラ自体に何の罪も責任も無い。しかも、当時おいらと母親は同じものを喰ってなんでもなかった。特捜部の調べによると、しかし氏は当時、好きなジンギスカンをほとんどナマで喰っており(前ページ参照)それが影響したのでは無いかともっぱらの評判であった。なおその後の特捜部の取り調べに対ししかし氏は「あほうめ、ジンギスカンでは無く牛刺しだ」とのたもうたがいずれにせよイクラだけのせいでは無さそうである。

北海三色丼 函館の朝市食堂街で発見した、見るもおぞましい丼である。どんぶりご飯の上に、鮭の刺身、イクラ、帆立の刺身が綺麗に並べられ、どうやら醤油をたらしてかきこんで食するらしい。食後12時間以内に血清を注射しなければ、体の一部がヒグマに変化するクマんこ病を発症するであるとか、O-157に感染するか、あるいは日夜トホホな気分になるトホホ症候群を発病する危険性があるという。おぇっ! 類似バージョンに「北海親子丼」が存在する。これは「北海三色丼」から帆立を抜いたものであって、おぞましさはあまり変わらない。函館出張の時に、朝食を食いに朝市に時々行くのであるが、「さば味噌煮定食」あるいは「焼き魚定食・つぼ鯛」をかっくらっているおいらの隣で、美味そうに「北海三色丼」または「北海親子丼」を食している関西弁のカップルなぞ見ると、心の底から殺意が湧いてきて、自分が恐ろしくなる。とどめに、「やっぱりー、北海道よねー、おいしぃぃいいーわよ、ねー」なんて言われた時には、思わず座っている椅子を振り上げたくなる。誰か止めてくれ。ところでホントに美味いのか?あれがか、あ?、なんとか言えっ!!!!
かにみそ かにみそである。蟹の肝臓に相当する。これも北海道人の悪いところで、どんな蟹にもミソがあると思い込んでいる大馬鹿者が多い。北海道の4大がに(毛がに、ずわい蟹、タラバ蟹、花咲蟹)の中で、ミソを有するのは純然たる「蟹」である。で、あるからしてタラバや花咲には基本的に存在しないと考えていたほうがよい。なぜならタラバや花咲は「ヤドカリ」の仲間であるので、肝臓部を加熱すると固まらずに溶けだしてしまい、せっかくの肉が不味くなってしまうという性質を持っている。嘘だと思うなら、タラバ蟹をひっくりがえして、ふんどしをめくってみるがよい。穴があけられているはずである。ふんどしからスプーンで、どろどろの肝臓を取り出してから茹でるのだ。それから、タラバと花咲が蟹ではないという事を信じられない大馬鹿者もいるであろうから、言っておく。蟹の脚は何本だ?ほれほれ、言ってみろ。幼稚園で習ったろ?、そうだ、爪を入れて10本だ。わっはっは。 ではタラバと花咲の脚は何本だ?、言ってみろ。そうだそうだ、爪を入れて8本だ。これで種類が違うって事がわかっただろ。ざまぁみろ。だからミソは毛がにとずわい蟹にしか無いのだ。毛がにのミソは黄色から茶色の中間色、ずわい蟹のは灰色もしくはそれに少し緑色が混じっているものだ。あれ?、そういえば、この前食った花咲蟹は、内臓をぬいた形跡がなかったな、花咲はもしかしたら、タラバよりミソが溶けずらいとかの理由で、茹でる時に取り出さないのかもしれない。でも脚の付け根なんかは、やっぱりミソが溶けだして、肉にしみ込んでいたぞ、おまけにやっぱり甲羅の裏にはほんの少ししかミソがへばりついてなかったし。何か話が脱線しているような気が? これは、あたりはずれ。はっきりいってずわいのミソは不味い。この前富山に出張に行って、「きょうは、い〜い蟹ミソがあるのよ〜」っていう料亭のおばちゃんの笑顔にだまされた。不味い。冗談ではない。北陸は、ずわい蟹が美味いところだと聞いていたのに、残念である。毛がにのミソは、これも不味い。というか、はずれたら食えたもんじゃない。昔からあんまり好きではないが、 最近少し食べれるようになった。蟹のミソ好きの輩は「ミソだけあれば、脚なんかいらないよー」と偉そうにのたまうが、うるさいわい、大きなお世話じゃ、とだけ宣言しておこう。
いかごろ イカの内臓である。本来は、イカの加工場から出る産業廃棄物にすぎないのである、また近年では「万能釣り餌」として人気が高くなってはいるものの、実際にはカジカが好んで食うぐらいなもんである。昔からある「イカの塩から」という得体の知れない食品に多用されているうちに、一般人も食するようになったものらしい。先日、たくらんけ氏に転載されたように、おいらが食えるイカゴロも確かに存在するが、実は生臭物が嫌いになった元凶は、ゴロである。小さい頃母親が、スーパーに行ってイキの良いイカの刺身があったりすると、魚コーナーのオヤジをわざわざ呼び出して、「今日のイカ刺し良さそうだから、いいゴロ余ってないかい?」などとささやいて、タダで2〜3本GETして、自分で仕込んで食っていた。あまりの生臭さに顔をしかめると、「こんな美味いものの味がわからないなんて、あんたは味音痴だ」と決めつけられ、涙し、生涯のトラウマとなった。しかし大人になった今はいつかは復讐してやろうと考え、ほくそ笑んでいるところである。 母親は、深い皿やタッパーを使用していた。作り方は、たくらんけ氏記載の通り。はっきり言って、不味い、臭い、見たくもない、といったような、酒肴世界のヘレンケラーとも言える物体である。塩でしめられたその物体は、しおれたなすびのような形状となり、表面の薄皮は少しきらきらと虹色に光って、その皮を箸で破ると、焦茶色の液体がとろっと皿上に流れ出している様は、見ているだけで下痢をしそうなほど異様な光景である。それを、ほくほくの熱いご飯に塗りたくり、うまいうまいと食う輩が2名、家族の中にいた。いわゆるカジカ野郎達である。そいつらが食うご飯の湯気で、生臭い匂いが食卓中に立ち上ると、おいらの食欲と性欲が一気に減退していくのが常であった。てめぇら、産業廃棄物食って美味いんかいっ!!!!

※なんと言われようと美味いもんは美味いのである。